“恥ずかしい”感情との向き合い方

エッセイ

こんにちは、土木公務員ブロガーのカミノです。

突然ですが、私はけっこう恥ずかしがり屋です。

恥ずかしがり屋と聞くと可愛らしいイメージをもつかもしれませんが、私の場合は高いプライドから来る「ミスして笑われたくない」みたいな心理だと思います。

社会人になってからこの“恥ずかしい”という感情が、仕事の邪魔になってるなーと感じることがよくあります。逆に言えば、“恥ずかしい”という感情をコントロールできれば仕事がしやすくなるのではないかと思うのです。

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恥ずかしいって何だ?

恥ずかしいと一口で言っても、いろんな種類の“恥ずかしい”があろうかと思います。そもそもコレは「怒り」「悲しい」「嬉しい」と違い説明が難しい感情ですよね。

感情心理学の論文では、「羞恥」とは無意図的なあるいは自らの望まない苦境や逸脱を意識した際の情緒的な反応である、と定義(?)されていました。

恥ずかしさ、つまり羞恥心を感じるのは、人間が社会的動物だからです。ここで重要なのは、人間がただ単に社会(集団)を作って生活しているというだけでなく、社会(集団)なしには生きられない動物であるという点です。

社会的動物である人間は、集団の中で浮いた存在になってしまうと生活そのものが脅かされます。そのような浮いた言動をしてしまったとき、またはするおそれがあるとき、周りの言動で浮いてしまう状況になったときに本能的に警報として発されるものが羞恥心です。

「電話応対でミスしてしまった…恥ずかしい」

「場に合わない服装で来てしまった…恥ずかしい」

「感謝を伝えたけど…恥ずかしい」

「人柄を褒められすぎた…恥ずかしい」

このうち4つ目の「褒められて恥ずかしい」は少しニュアンスが違うことに気づくと思います。これは「照れくさい」という表現もされますね。照れくささも羞恥心の一種だと思われますが、周囲からの評価が自己評価よりも高いことによるギャップが原因で、本能的に「実力以上の評価されちゃってるよ!今後集団内でちゃんとやっていけるの!?」という警報が出ているのです。

この心理については、私が克服しようとしている“恥ずかしい”とはちょっと違うので割愛しようと思います。

1つ目、2つ目は自分のミスによって、3つ目は自分のアクションによって、他者評価が下がり集団から排除されるんじゃないかという不安。このような不安が羞恥心として出てきます。というか、深刻な不安までいかない軽めの逸脱状況における感情が羞恥心でしょうか。

日本人はシャイ

そいえば、日本人はシャイだと聞いたことがありますね。shyとは、恥ずかしがりの、内気な、はにかんだ、引っ込み思案の、という意味。

ホントかどうか分かりませんが、確かにアメリカでは日本より道行く人から挨拶されるし、いきなり「ヘイ!可愛い帽子だね!」と声を掛けられたこともありました。日本ではまずありえないですよね(笑)

外国人は日本よりも羞恥のハードルが高いのかもしれません。

しかし、羞恥心が道徳的ルールの基礎となっていて日本の秩序を守っていることも確かです。恥ずかしい事=みっともない事と考えられ、法令で規定されていないことでも、○○をしたらみっともない!という道徳感で社会が運用されています。

これはある意味、日本らしくて、誇るべきことだと思います。

羞恥心は仕事の邪魔だ

羞恥心がウザイのは、これによって行動することをためらってしまうことです。ちゃんとできないかもしれないから電話応対しないでおこうとか、変な事と思われるかもしれないから質問するのを避けようみたいな、様々な問題が引き起こされます。

仕事のみならず生活全般で羞恥心が行動のブレーキとなり、やりたいことができないのです。

私は学生時代からこの“チャンスが潰されている感覚”を持っていました。

そして、この羞恥心を克服することが自分のやるべきことをやるチャンスを掴むことにつながるのではないかと考えました。

恥ずかしいを克服するために

羞恥心を無くすことは簡単なことではありません。説明したように、社会的な動物である人間に本能的に埋め込まれた感情だからです。

しかも、私は研究者でも専門家でもないし、羞恥心を克服したぜ!ワハハ!と言えるほど達観してはいません。ただ、こうしたら良いんじゃないかなーと漠然と考えているだけです。それらの考えを書いてみます。

克服するといっても、恥ずかしいと感じるハードルを少しだけ変えてみようというだけのお話です。

恥ずかしい状況に慣れる

慣れるしかないです。オイって言われるでしょうけど、とにかくやるしかない、飛び込む、慣れる。

すると恥ずかしさも薄れていくでしょう。最初の頃は勇気がいりますけどね。がんばりましょう。

自己研鑽に励む

教養を身につけ、幅広い知識をもち、専門分野にはもっと詳しくなる。そうすれば、恥ずかしい状況になること自体が減るのではないでしょうか。また、自信をつけることによって恥ずかしさは減るかもしれません。

これは恥ずかしいを克服してるとは言えないかもしれないですが、まあ日本人として育ってしまった私たちにとって簡単に克服できるものではないと考えれば、一番妥当な方法ではないでしょうか。

人と話す

異動などでまったく知らない環境に放り出されると、恥ずかしさを感じやすくなる気がします。やはり羞恥心とは他者との関わりによって起こるものだから、周りを知らない、知られていない環境だと羞恥心は出やすいのかもしれません。

そんなときはまず周囲の人と話す。他者理解。そして自分をさらけ出して知ってもらう。そうすると、他人からどんな風に自分が認知されているか知ることができ、恥ずかしさが和らぐと思います。

私は職場で世間話するのが苦手なので苦戦しているところです…。

ミスした人を笑わない

私は小さなミスをした人を笑ったり茶化したりしないようにしています。単純に面白いと思わないからでもありますし、ミスを笑わない雰囲気を作ることでみんなが少しでもミスを恐れず(恥ずかしがらずに)行動を起こせようになると思うからです。

ただし、親しいグループの中で逆にいじったりすることで、ミスをしても平気な雰囲気を作れることもあると思います。完全に逆の考え方ですが、どっちが正しいのかは状況によるかもしれません。個人的には、職場では異動も頻繁にあってそんな親しいグループでもなかったりするし、グループ外の人もいじり始めるので、あまりよくないと思います。

プライドを壊す

私のようにプライドが高い人は、逸脱した状況を嫌い、それだけ行動が億劫になってしまうと思います。ホントに長年積み上げてきた自分の能力と経験に誇りを感じてる人ならいいですが、例えば新入社員が持ってるプライドなんて何の役にも立ちません。無駄に高いプライドは“恥ずかしい”以外にも色々な弊害をもたらします。

そこで、民間企業では新入社員のプライドを壊したり、羞恥心を克服する取り組みをされていることがあるみたいですね。

ここでは、個人がプライドを捨てるための方法をご紹介します(ネット記事にあったやつ)

・ステップ1 自分の嫌なところをすべて書き出し受け入れる
・ステップ2 直したいものは改善していく
・ステップ3 周りを受け入れる
・ステップ4 周りと協力していく
・ステップ5 マルバツ感覚をやめる

自己分析、そして自己改善ですね。



結局慣れるしかないという身も蓋もない結論でしたが、なんか他にいい方法知ってる人がいましたら教えてください。

ではでは今日はこのあたりで。またぬん

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