こんにちは、土木公務員ブロガーのカミノです。
今日は日本を代表するプログラマーである登大遊さんの“論理的思考の放棄”という考え方をご紹介します。
彼は月に10万行のプログラムを書けるくらいパフォーマンスが高いことで有名ですが、(普通の人は月に1000行くらい)
その秘訣は「努力せず、論理的に考えず、頭を使わず」書くことらしい。
コミュニケーションや問題解決にあたって必要不可欠なスキルであるはずの論理的思考(ロジカルシンキング)を捨てて、なぜ常人の何十倍もの作業効率を叩き出すことができるのでしょうか?
論理的思考(ロジカルシンキング)とは?
論理的思考とは、簡単に言うと、複雑な物事を体系的に整理し、因果関係を正しく把握したり、筋道の通った論理を作ったりすることです。
なかなか難しい言葉ですので、あくまで私なりにざっくり説明するとこのような定義になります。
まあでも、なんとなく皆さんわかりますよね?
例えば、仕事でトラブルが起きたときに、トラブルの状況を整理して、上司に説明するときは、「○○が原因で△△になりました。今後は□□にするため、××をします」というように、筋道を立てて相手にわかるように報告しますよね。
これが論理的思考の簡単な使用例です。
ビジネスでは絶対に必要ですし、ビジネス以外でも身につけておくと役に立つスキルです。
論理的思考の放棄
登大遊さんは2007年のブログに「論理的思考の放棄」というテーマで自分の考えを書かれています。
非常に面白い内容ですからぜひ読んでみてください!
登さんは多い月で10万行/月のプログラムを書けるとのこと。これは普通の人の何十倍もの仕事量です。
登さん曰く、これは彼が特別だからできるわけではなく、人間に備わっている「感覚的な思考」という最高のデバイスをフル活用すれば誰でも可能だと言うのです。
コンピュータの前に座って、キーボードの上に両手を置けば、後はあまり考える必要はない。自動的に手がキーボードを打ち、プログラムを入力して完成させてくれる。この処理は一切、論理的思考では行われていないので、途中で論理的思考を行うことは厳禁である(作業の邪魔になる)。ひたすら何も考えない。
この引用箇所で「なんだ天才か」と思った方も多いと思います。私もそれまでフムフムと読んでいたけどココで理解するのをやめました(笑)
論理的思考を放棄するとは、今まで学校や職場で推奨されていたものと真逆のことを実行するわけですから、「そんなことは論理的にあり得ない」と否定してしまい理解することが難しいのです。
登さんはブログのなかで、例えとして、“音楽を聴いたとき”を挙げています。好きな音楽を聴いていても、周波数やパターンの音色を分析して「論理的にこれは良い」と感じているわけではないですよね。もっと直感的に「なんかよくわからんけど良いぞこれ」と感じていると思います。
論理的に説明できないけれど、コンピュータで処理できないような感覚的なところで“心地よい音楽”を感じています。
これが論理的思考を放棄している状態です。
クラシック聴くと心が安らぎます。
自転車に乗るとき、人は論理的に考えていない
他の例としては、自転車に乗るときとか。
ほとんどの日本人が自転車をスイスイ乗れると思いますが、常にバランスや漕ぐ速度を論理的に考えているわけではなく、あくまで、なんとなく、“感覚的に”転けないようにしています。つまり、
自転車に乗ってるときは、まさしく「努力せず、論理的に考えず、頭を使わず」身体を動かしているということです。
ピカソの絵は論理的?
もう一つのわかりやすい事例でいえば、ピカソの絵画です。登さんのブログを読んだとき私は真っ先にピカソが思い浮かびました。
有名な『ゲルニカ』や『泣く女』はどう考えても論理的思考ではなく、感覚的な思考で描かれていますよね。
ピカソみたいな天才画家のことを考えると、やはり、技術的にハイレベルなものを感覚的な思考で生み出す作業は、とんでもなく修練を重ねた先に到達できる世界だとわかります。
体に染み込ませるくらい技術を磨き、頭に焼き付くくらい知識を勉強する必要があるでしょう。
登さんも幼い頃から数えきれないほどプログラムを書き、論理的にプログラムを書くということを極めたからこそ、それをまるで自動運転のように設計イメージ通りに入力することができるのだと思います。
私たちにもできる“論理的思考の放棄”
では、私たち凡人には“論理的思考の放棄”は真似できないのでしょうか。
登さんは「誰にでも可能」と言っています。
たしかに、誰でも1週間程度の練習で自転車を自由自在に乗りこなせるようになるし、一度乗れるようになると、もう頭で考えてるわけではありません。
論理的思考の放棄は可能だと思います。
公務員の業務では難しい
公務員の業務でも“論理的思考の放棄”ができれば仕事が自動化して片付くので便利な気がします。
でも私が考えうる限り、手順などを完璧に暗記したとしても、まったく頭を使わず実行できる定型作業はないと思います。そのような集中できる環境でもないですし。
公務員の場合は、数年で異動になり新しい業務を覚える必要があるし、千差万別な仕事内容なので、どうしても処理後の完成イメージを完璧に思い描くことは難しいのです(;´・ω・)
でも出来そうな気もする…(;´・ω・)
勘違いしないでほしいのは、十分な知見がないのに、感覚的になんとなくで判断したり処理したりしてはいけません。
日常生活で実践してみる
仕事でダメなら日常生活で実践してみることですね。自転車の運転みたいな、私たちの感覚的なデバイスに頼って自動化できることがあるはずです。
例えば朝のモーニングルーティンを身体に染み込ませれば、「朝起きてカーテンと窓を開けて、顔を洗って、パンを焼いて、コーヒーを淹れる」みたいな一連の行動を一々頭で考えることなく実行できるかもしれません。
そして、脳のスタミナとリソースを割かずに自動運転化できて、脳のリソースは他の考えるべきことに注ぐことができます。
このように身体に動作や思考を刷り込ませるパターンなら私たち凡人にもできると思います。
おわりに
ちょっと概念を理解するのが難しい内容だったと思いますが、論理的思考が大切!と頭に叩き込まれてきた人たちには目から鱗な話だったと思います。
学校や職場で教えられたこと、世間で言われていることが必ずしも正しいわけではない?と疑問を持つことも大切です。
登さんのブログでは、“論理的思考の放棄”の続きや、具体的な「何も考えない状態」の作り方を解説されていますので、興味がある方は読んでみてください。
「何も考えない」というのは禅の概念と通じるものがありますね。
では、今日はこのあたりで。
またぬん(‘ω’)ノ
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